主に一五年戦争期の日本による中国侵略で犠牲になった中国人の遺体(遺骨)がまとめて埋められている(捨てられている)「人捨て場」が、東北(かつての「満州国」)から南洋の海南島にまで至る広大な中国の各地に、二一世紀の今も数えきれないほど現存しています。その「人捨て場」を中国の人々は「万人坑」(まんにんこう)と呼んでいますが、埋められた犠牲者の数が文字通り万人の単位(五桁!)にもなる巨大な万人坑も数多く残されています。 これらの万人坑に埋められた膨大な数になる犠牲者の多くは、炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事基地やダムなどの建設工事現場などに連行されて強制労働させられ、主に過労と飢えにより衰弱死(過労死)させられた中国人であり、主要な「犯人」(加害者)は日本の民間営利企業です。 ところで、中国人強制連行というと、中国から連行された約四万人の中国人が花岡鉱山鹿島事業所など一三五カ所の事業所で強制労働させられ約七〇〇〇人が死亡した日本国内(内地)への強制連行については日本でも比較的良く知られています。しかし、中国本土(大陸)における強制連行・強制労働については、その被害規模が日本国内への強制連行と比べても桁違いに大きいのに日本ではほとんど知られていません。 そこで、中国本土における強制連行・強制労働について簡単に見ておくと、例えば、中国の東北に日本が「建国」し支配した傀儡国家「満州国」では、一九三四年から一九四五年の間に労工として徴用され、鉱山などそれぞれの現場(事業所)に送り込まれ強制労働させられた中国人被害者は一六四〇万人にもなります。そのうち、労役の割り当てや強制連行により「満州国」域内で徴用された被害者が八五〇万人、華北など中国各地から「満州国」に連行されてきた被害者が七九〇万人です。 一方、万里の長城を「国境」とし「満州国」の南側に隣接する華北は、中国国民政府(蒋介石政権)の統治下から政治的・経済的に分離し「第二の満州国」にするための華北分離工作を日本が推し進めた地です。そして、アジア太平洋戦争を遂行するための「戦力の培養補給」の基地、つまり食料・資源・労働力などの供給地として日本により位置付けられた華北の域内で、一九三七年から一九四五年の間に強制労働させられた中国人被害者は二〇〇〇万人以上になります。さらに、この二〇〇〇万人とは別に、一九三四年から一九四五年の間に華北から華北以外の地へ労工として強制連行された中国人被害者が一〇〇〇万人も存在します。その連行先の内訳は、「満州国」へ七八〇万人余、蒙疆へ三二万人余、華中へ約六万人、さらに日本本土(内地)へ三万五七七八人、朝鮮へ一八一五人などです。 さらに、上海や南京など長江(揚子江)流域の主要都市を含む華中と、膨大な数の日本の営利企業が特異な形態で進出した海南島を含む華南においても、それぞれ、最低でも一〇万人単位、おそらく一〇〇万人単位の強制連行・強制労働が行なわれているので、東北(「満州国」)と華北の被害者に華中と華南の被害者を併せると、中国全土でおよそ四〇〇〇万人が強制労働を強いられたと断言できると思います。 各地の事業所に労工として連行された中国人被害者は、まともな食事も与えられないまま長時間の過酷な労働を強制され、屈強な若者でも飢えと過労によりすぐに痩せ衰え、多くが過労死(衰弱死)します。さらに、病気(伝染病など)や作業中の事故や理不尽な暴行や虐待なども重なり膨大な数の中国人が犠牲になりました。「満州国」では、強制労働させられた中国人被害者の八割とか九割が死亡する現場(事業所)が数多く存在していたことが明らかにされています。そして、膨大な数になる犠牲者の遺体は、事業所近くの山間地など人目につかない辺鄙な場所にまとめて捨てられ、「人捨て場」としての万人坑が形成されました。 万人坑から見えるもの このような「人捨て場」としての万人坑は二一世紀の今も中国のいたるところに現存していますが、万人坑の現場を万人坑だと意識して初めて私が訪ねたのは内蒙古自治区ホロンバイル盟ハイラル市(当時)にある沙山万人坑で、二〇〇〇年五月のことです。沙山の乾ききった沙漠に放置されたままになっている厖大な犠牲者の遺骨が、猛烈な寒風に吹きさらされている情景を今も忘れることはありません。ハイラル・沙山の惨状は私の脳裏に強烈な擦痕を残しました。 それから二〇一九年までの二〇年間に四二カ所の万人坑を訪ね、強制労働現場を実際に確認してきました。そして分かったことの一つは、埋められた犠牲者の人数が多くの万人坑のそれぞれで文字通り万人の単位になることです。もう一つ分かったことは、前段にも記したように、営利(金儲け)を目的とする日本の民間企業が経営する鉱山や土建工事現場における過酷な強制労働が大量の犠牲者を生み、「人捨て場」である万人坑を形成する主要な原因になっていることです。 「万人坑を知る旅」ホームページでは、これまでの訪中で確認したことを、できるだけ分かりやすくお伝えしたいと思います。そして、このホームページを通して、日本が中国に残した加害事実としての万人坑と中国人強制連行・強制労働について多くの人に理解してもらうことができれば嬉しいことです。併せて、中国やアジア各国に対しかつて日本が行なったことについて考えていただくきっかけになれば幸いです。 中国人被强制带走以及强迫劳动与万人坑 我对中国人被强制带走、强迫劳动很关注。其中特别关注中国本土的中国人强迫劳动以及万人坑。 被带到日本国内强迫劳动的中国受害者大约有4万人。在日本,这种情况在某种程度上被人所知。但是,有关在中国本土被强迫劳动的中国受害者在日本完全无人知晓。 我曾多次前往中国,目睹了四十多处强迫劳动的工地和万人坑。根据其确认结果,中国遭受的损失,总的估计约有4000万人被迫强制劳动,其中死亡人数达到约1000万人。 日本人有必要知道如此严重的战争罪行。了解事实真相,为犯下的罪行道歉,并尽一切可能进行赔偿,只有这样,日本和中国才能成为真正的朋友。做不到这一点,日本和中国就不可能成为真正的朋友。 万人坑発掘現場/大石橋マグネサイト鉱山万人坑 それで、地図の下に並んでいる万人坑の名称を選択(クリック)すると、それぞれの万人坑の説明と写真を見ることができます。まずは、興味・関心がある万人坑を選択し、その実態を確認してみてください。 (注:誤解のないように念押しですが、地図に記載している42カ所の万人坑は、当ホームページの担当者が現地で実際に確認した万人坑だけです。これ以外に、数えきれないほどたくさんの万人坑が中国各地に存在しています。万人坑は42カ所しかないなどと誤解しないようにしてください。) 中国の万人坑の配置地図(画像クリックで拡大) 「 満 州 国 」 の 万 人 坑 内蒙古自治区 ハイラル要塞万人坑 黒龍江省 鶴崗炭鉱万人坑 鶏西炭鉱万人坑 東寧要塞万人坑 吉林省 豊満ダム万人坑 遼源炭鉱万人坑 石人血泪山万人坑 遼寧省 北票炭鉱万人坑 阜新炭鉱万人坑 本渓炭鉱鉄鉱万人坑 弓長嶺鉄鉱万人坑 大石橋マグネサイト鉱山万人坑 大石橋マグネサイト鉱山万人坑(2) 金州龍王廟万人坑 新賓北山万人坑 撫順炭鉱万人坑 旅順万忠墓 阜新炭鉱万人坑(2) 北票炭鉱万人坑(2) 平頂山惨案 河北省(旧熱河省) 承徳水泉溝万人坑 華 北 の 万 人 坑 河北省 宣化龍煙鉄鉱万人坑 潘家峪惨案 石家庄強制収容所 井陉炭鉱万人坑 山西省 大同炭鉱万人坑 大同炭鉱万人坑(2) 天津市 塘沽強制収容所 華 中 ・ 華 東 の 万 人 坑 安徽省 淮南炭鉱万人坑 江蘇省南京市 南京江東門万人坑 南京上新河万人坑 南京普徳寺万人坑 南京東郊合葬地 上海市 銭家草惨案 華 南 の 万 人 坑 湖南省 廠窖惨案(廠窖大虐殺) 海南省 八所港万人坑 石碌鉄鉱万人坑 田独鉱山万人坑 陵水后石村万人坑 南丁(朝鮮村)千人坑 月塘村「三・二一惨案」 北岸郷「五百人碑」 付 録 : 朝 鮮 を 知 る 旅 朝鮮の人たちの日常 2014年 付 録 : 日中友好新聞連載記事 中国本土に現存する万人坑と強制労働現場を訪ねる 注意:無断引用・転載はお断りします。 引用・転載などを希望される方は、下のメールフォームをとおして、当ホームページの担当者に相談してください。 |
行事案内やニュースなどを不定期に追加・更新します。 時々覗いてみてください。 |
「中国人強制連行・強制労働と万人坑」の学習会をしませんか! 中国に現存する万人坑(人捨て場)と、万人坑から見えてくる中国人強制連行・強制労働について考えてみませんか! 「中国人強制連行・強制労働と万人坑」について事実を確認してみたい、学習会や集会をやってみたいと思われる方は、当ホームページ担当者に気軽に連絡・相談してください。日程や条件が折り合えばどこへでも出向き、話題と資料を提供し、できる限りの解説をします。仲間内の少人数の勉強会とか雑談会のような場でもよいですし、不特定の一般の方も参加していただく集会のような形式でもよいです。開催形式・要領は依頼者にお任せします。まずは当方に連絡していただき、進め方などを相談しましょう。 それで、謝礼などは一切不要ですが、資料の印刷と担当者の会場までの交通費実費だけは、依頼される方で負担してくださいね。 当方への連絡は下のメールフォームをとおして、または下記の連絡先メールアドレスにお願いします。 (参考)2024年3月30日開催 「万人坑」問題の講演・学習会 主催:日中友好協会大阪府連合会・他 |
青木茂(著者) . ・ここで紹介している本は、全国のどの書店でも購入できます。書店の店頭に無ければ書店で注文してください。定価(本体価格+税)で購入できます。 ・あるいは、本ウェブサイトの「メールフォーム」でお届け先を連絡いただけば、本体価格(税不要・送料不要)で郵送にてお届けします。ただし、払込取扱票(郵便振替)による代金支払いの手数料は購入者の方で負担してください。 |
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二〇二四年二月五日発行 南京大虐殺から雲南戦へ ―日本の中国侵略から敗戦に至る足跡を巡る―
新著『南京大虐殺から雲南戦へ ―日本の中国侵略から敗戦に至る足跡を巡る―』を二〇二四年二月五日付で花伝社から出版しました。日本による対中国全面侵略の初期に大虐殺が引き起こされた南京と、アジア太平洋戦争における日本の敗戦を決定づけた滇西抗戦(雲南戦)の舞台となった中国・雲南の今(現在)を本書で確認していただければと思います。その新著の「まえがき」を以下に引用し、内容紹介とします。 『南京大虐殺から雲南戦へ』まえがき 二〇一四年二月二七日に開催された中国の第一二期全国人民代表大会(全人代)常務委員会第七回会議で、「一二月一三日を南京大虐殺犠牲者国家追悼日と定める。毎年一二月一三日に国は公式追悼行事を行ない、南京大虐殺犠牲者および日本帝国主義による中国侵略戦争の期間に日本の侵略者に殺戮された全ての犠牲者に哀悼の意を捧げる」という議案が採択された。全人代におけるこの決定に基づき、同年一二月一三日に迎える初めての南京大虐殺犠牲者国家追悼日に、習近平国家主席が参列する初めての国家公祭(犠牲者追悼式典)が南京大虐殺遇難同胞記念館で挙行された。 そこで、本書第一部「南京」では、南京大虐殺犠牲者国家追悼日が制定された背景を探るとともに、二〇一四年の第一回国家公祭における習近平主席の演説全文も確認する。さらに、第二回と第三回の国家公祭が挙行された二〇一五年と二〇一六年の南京現地で体験し確認したことをまとめ、中国の人々の南京大虐殺に対する現在の想いに迫る。 さて、日本による対中国全面侵略の初期に南京大虐殺を許し首都・南京を追われた中国国民政府は内陸奥地の重慶に逃れ、重慶を臨時首都として抗日戦争を戦うことになる。その国民政府に対するアメリカやイギリスからの支援を阻止し、東西両側から重慶を挟撃するため一九四二年五月に日本が発動したのが雲南戦だ。中国の南西側に位置するビルマ(現ミャンマー)から陸路伝いに国境を越え中国西南の雲南に侵攻した日本は雲南西部を瞬く間に制圧し、ビルマから国境を越えて重慶に至る国際補給路を遮断した。 雲南西部を制圧された中国は一九四四年五月に日本に対し反撃を開始する。そして、拉孟(らもう)や騰越の日本軍守備隊を全滅させるなど勝利を重ね、一九四五年一月までに日本を雲南から追放した。「中国が日本に唯一完全勝利した」(注)雲南西部を舞台とするこの戦役=雲南戦を中国は滇西(てんせい)抗戦と呼んでいる。 その雲南戦(滇西抗戦)を「一九八〇年代頃までは、中国政府は、中国が日本に唯一完全勝利した雲南戦の担い手が蔣介石の国民政府軍であったことから・・・・・・ずっと黙殺しつづけてきた。ところが、一九九〇年代の江沢民政権期になって・・・・・・雲南戦においても日本軍の侵略戦争の史実の証拠収集が盛んに行われるようになったという。・・・・・・こうして中国政府は、近年、雲南戦における『歴史の空白』をようやく埋め始めている」(注)ということだ。 そこで私は、中国政府が「『歴史の空白』をようやく埋め始めている」雲南戦の舞台となった雲南省西部を訪れ、実際に戦闘が繰り広げられた戦場跡(史跡)や雲南戦を記録する博物館や雲南の人たちが暮らす町や村を自身の目や耳で確認してきた。本書第二部「雲南」の第六章は、その訪中で見聞したことを報告する旅行記(ルポ)だが、第二部の第四章と第五章に記す雲南戦(滇西抗戦)の説明と併せ、現在の中国政府(共産党政権)が雲南戦をどのように評価し扱おうとしているのかという点について考える材料を提供できると思う。そして、私自身が感じることも記すので参考にしてもらえれば有り難い。 本書を通して、日本による対中国全面侵略の初期に引き起こされた南京大虐殺から、日本の敗戦(敗北)を決定的にした雲南戦に至る流れと、惨劇の舞台となった南京と雲南の今(現状)に関心を持ってもらえれば幸いだ。 (注)遠藤美幸著『「戦場体験」を受け継ぐということ―ビルマルートの拉孟(らもう)全滅戦の生存者を尋ね歩いて』高文研、二〇一四年、八三頁 書評 @『しんぶん赤旗』2024年3月10日 ⇒ 『しんぶん赤旗』書評 (補足)花伝社のウェブサイト(下記)も参照ください。 『南京大虐殺から雲南戦へ』の紹介ページ ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10045683.html | |
2022年4月10日発行 ― ガイドブック・初めて知る万人坑 ―
日中友好新聞で昨年(2021年)1年間連載した「中国本土に現存する万人坑と強制労働現場を訪ねる」に追加・加筆して標題の小冊子(ブックレット)にまとめ、2022年4月10日付で花伝社から出版しました。 本書の第一部では、万人坑と強制労働に関わる個々の現場の説明を見開きの2ページ(右ページに解説、左ページに写真)にまとめ、合わせて28カ所の現場を紹介し、第二部に、中国本土における強制労働と万人坑の全体像を概観する解説を収録しています。これにより、「初めて知る万人坑」という副題に示すように、本件主題に関する格好の入門書に仕上げることができたと思っています。さらに、参考文献を数多く示すことで、より詳しく知りたい人の要望に応えることができるように配慮しています。 それで、中国本土(大陸)における強制連行・強制労働の被害者は4000万人にもなり、そのうちおよそ1000万人が死亡しています。しかし、被害規模がこのように甚大・膨大であるにも関わらず、その史実は日本ではほとんど認識されていません。そういう情況の下で発行する今回の小冊子(ブックレット)を多くの人に講読していただき、日本による中国侵略の凄惨な実態の核心部を知ってもらいたいと願っています。 万人坑的指南书(入门书) 2022年4月我出版了一本题为《在中国现存的万人坑与强迫劳动现场》的书。此书是在2021年《日中友好新闻》上1年24次连载报道的基础上修改而成的。 这本书介绍了28处万人坑和强迫劳动现场。同时,收录了关于中国人被强迫劳动和万人坑的简洁易懂的解说。 这本书是我第一本关于万人坑的小册子(指南书)。作为了解万人坑的入门书,此书通俗易懂。希望更多的日本人能读一读这本书。 書評 @『日中友好新聞』2022年5月15日 評者=井上久士氏(日中友好協会会長) ⇒ 『日中友好新聞』書評 A『戦争と医学−第23巻』2022年12月27日 評者=末永恵子氏(福島県立医科大学) ⇒ 『戦争と医学−第23巻』書評 (補足)花伝社ウェブサイト 『中国に現存する万人坑と強制労働の現場』紹介ページ ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10032450.html | |
二〇二〇年一一月二五日発行 ― 中国本土における強制連行・強制労働と万人坑 ―
新著『万人坑に向き合う日本人 ― 中国本土における強制連行・強制労働と万人坑』を二〇二〇年一一月二五日付で花伝社から出版しました。この新著では、万人坑に向き合う(魅せられた)三人の日本人を通して、中国人強制労働と万人坑に関わる日本の侵略犯罪・戦争責任を告発しています。その新著の「まえがき」を以下に引用し、内容紹介とします。 『万人坑に向き合う日本人』まえがき 日中一五年戦争による中国人の死傷者は中国の統計によると三五〇〇万人であり、そのうち死者は二一〇〇万人になる。一方、日中一五年戦争時に、主に日本の民間企業により中国本土(大陸)で強制労働させられた中国人被害者は約四〇〇〇万人にもなり、そのうち約一〇〇〇万人が過酷な強制労働により死亡したと推定される(本書第一章に詳述)。そうすると、日中一五年戦争による二一〇〇万人の中国人犠牲者のほぼ半数は、日本軍による武器(武力)を用いる直接的な殺害ではなく、直接には武器を用いない日本の民間企業の強制労働により命を奪われたことになる。 そのような、日本の民間企業による強制労働が生み出した約一〇〇〇万人もの中国人犠牲者の遺体は、それぞれの強制労働現場(事業所)に近い人目につかない山野などに捨てられ、膨大な数の「人捨て場」が中国全土に作られた。そのような「人捨て場」は、戦後七五年になる二一世紀の今も中国各地に数えきれないほど現存しており、その「人捨て場」を中国の人々は万人坑と呼んでいる。 さて、日中一五年戦争における日本の侵略犯罪・加害責任について考えるとき、多くの日本人が関心を寄せるのは、南京大虐殺をはじめとする暴虐事件や、中国が三光作戦と呼ぶ治安戦や、七三一部隊による細菌戦や、女性に対する性暴力(性奴隷犯罪)など、中国軍に対し相対的に強大な武力を持つ日本軍が引き起こした加害責任なのだろう。しかし、侵略の本質である、主に日本の民間企業が加害者となる経済的な犯罪に関わる中国人強制連行・強制労働に関心を寄せる人は、その被害規模が甚大であるにもかかわらず多くはないようだ。 そこで本書では、営利(金儲け)を目的とする日本の民間企業による強制労働という侵略犯罪の実態に日本人が理解を深めてくれることを願い、中国人強制労働と、その結果として作られた万人坑に関心を寄せ(魅せられ)万人坑といろいろな関わりを持ち続ける三人の日本人のそれぞれの半生を紹介することにしたい。その三人は次の人たちだ。 大東仁さん‐愛知県尾張地方にある名刹・円光寺の住職 学生時代の一九八五年に、自身にとって初めての海外の旅で、大石橋マグネサイト鉱山万人坑を現認することを第一の目的として大東仁さんは中国に行く。そして、一カ月にわたり中国各地を「一人旅」で放浪し、大石橋マグネサイト鉱山など三カ所の万人坑を含む日中戦争に関わる史跡を訪ね歩いた。 大学を卒業し僧侶(住職)になったあとも、幾つもの調査団(訪中団)を主宰し何度も中国を訪れ、万人坑を含む日本による侵略の跡を調査している。また、南京大虐殺の被害者を含む多くの関係者と交流を続けるなど、南京を中心に日中戦争と日本の侵略犯罪に関わり続け、自坊の属する真宗大谷派の侵略責任も問い続けている。 舟山守夫さん‐JR東海労働組合新幹線関西地方本部の初代執行委員長 JR東海労働組合新幹線関西地方本部の初代執行委員長に就任した舟山守夫さんは、組合員らが参加する中国(海外)平和研修を一九九七年から始める。そして、若い組合員を含む大勢の仲間を引き連れ、二〇一八年の第二一回目で海外平和研修を終了するまでに、中国を一六回、韓国を四回、ポーランドを一回訪れた。この間に、中国平和研修の目玉として通い続けたのは、大石橋マグネサイト鉱山万人坑と平頂山事件の虐殺現場(平頂山惨案遺跡記念館)だ。 その中国平和研修を通して、大石橋マグネサイト鉱山の虎石溝万人坑を消滅の危機から救ったことは、掛け替えのない貴重な成果となった。そして、大石橋の虎石溝万人坑記念館と平頂山惨案遺跡記念館には、JR東海労働組合の記念碑(犠牲者追悼碑)が、中国政府の賛同のもとに正式に建立されている。 野津加代子さん‐「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」(中国帰還者連絡会の後継市民団体)関西支部代表 アメリカ先住民に関心を持ち、アメリカ(シアトル)の大学に留学し、卒業後もアメリカで働き、アメリカ滞在中にキリスト教の洗礼を受けキリスト教徒にもなった野津加代子さんは、三〇歳代の前半まではアメリカ一辺倒の人生を歩んでいた。 しかし、二〇〇〇年に中国に行き撫順戦犯管理所を訪れ中国帰還者連絡会と出会ったことが転機となり、それからは中国にのめり込むようになる。そして、「万人坑を知る旅」や「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」訪中団などを主宰し、数多くの万人坑を含む日中戦争の加害の跡を訪ね歩き続けている。 現在は旅行会社の代表(社長)に就任している野津加代子さんは、おそらく、今の日本で一番数多く万人坑を巡り歩いている人だと思われる。 万人坑に関心を寄せる(魅せられた)この三人の日本人の生きざまを通して、万人坑に秘められた、あるいは万人坑が告発している、中国本土における中国人強制連行・強制労働に関わる日本の侵略責任に、本書の読者のみなさんと歴史学の専門家・研究者から関心を寄せてもらうことができれば嬉しい。そして、みなさんといっしょに、再び侵略することのない国に日本を変えていきたいと思う。 書評 『歴史地理教育』2021年6月号 評者=半沢里史氏 ⇒ 『歴史地理教育』書評 (補足)花伝社のウェブサイト(下記)も参照ください。 『万人坑に向き合う日本人』の紹介ページ ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10032509.html | |
二〇一九年八月一〇日発行 ― 中国人強制連行・強制労働を知る旅 ―
新著『華南と華中の万人坑 ― 中国人強制連行・強制労働を知る旅』を二〇一九年八月一〇日付で花伝社から出版しました。この新著では、中国の華南と華中に現存する万人坑と、その背後にある中国人強制連行・強制労働の惨状などをルポの形式で紹介しています。以下に、新著の「まえがき」を引用し、内容紹介とします。 中国本土における中国人強制連行・強制労働 主に一五年戦争期の日本による中国侵略で犠牲になった中国人の遺体がまとめて埋められた(捨てられた)「人捨て場」が、中国各地のいたる所に二一世紀の今も数えきれないほど現存している。その「人捨て場」を中国の人々は万人坑(まんにんこう)と呼んでいるが、埋められた犠牲者の数が実際に万人の単位(五桁!)になる巨大な万人坑も数多く残されている。 これらの万人坑に埋められた膨大な数になる犠牲者の多くは、炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事要塞や巨大ダムなどの土建工事現場などで強制労働させられ、主に過労と飢えにより衰弱死(過労死)させられた中国人であり、主要な「犯人」(加害者)は日本の民間営利企業だ。 このように、中国本土(大陸)では、中国人強制連行・強制労働が原因となり膨大な数の犠牲者が生まれ、万人坑と呼ばれる「人捨て場」に埋められて(捨てられて)いるが、日本で話題にされる中国人強制連行・強制労働のほとんどは、日本国内に連行されてきて花岡鉱山鹿島事業所などで強制労働させられた約四万人の被害者に関することであり、中国本土(大陸)における強制連行・強制労働が日本で話題にされることはほとんどない。 その中国本土における強制労働の被害者数は、傀儡国家「満州国」をでっちあげ日本が占領支配した東北で一六四〇万人、「満州国」の南側に位置し、アジア太平洋戦争の「戦力の培養補給」の基地だと日本が位置付けた華北では二〇〇〇万人にもなる。また、東北(「満州国」)では、強制労働被害者の八割とか九割が死亡する現場(事業所)が数多く存在していたことも確認されている。 中国本土におけるこの被害者数は、日本国内に連行されてきた四万人と比べれば正に桁違い(三桁違い!)の膨大な数だが、この重大な史実が日本でほとんど認識されていないのは許されないことであるし、中国人にとっても断じて容認できないことであろう。 「万人坑を知る旅」訪中団 このような歴史認識を踏まえた上で、中国各地に現存する万人坑を訪ね、強制連行・強制労働を中心に日本の侵略加害の実態を確認するため、関西地方のとある旅行会社に勤める野津加代子さんは「万人坑を知る旅」訪中団を組織し、二〇〇九年から二〇一三年まで毎年中国を訪ね、東北(かつての「満州国」)と華北の各地に現存する万人坑と強制労働現場を確認してきた。 「万人坑を知る旅」訪中団がこれまでに訪ねたのは、二〇〇九年の第一回が東北の南部に位置する遼寧省、二〇一〇年の第二回は東北の中部に位置する吉林省、二〇一一年の第三回は東北の北部に位置する黒龍江省、二〇一二年の第四回は東北の西部に位置する内蒙古自治区と黒龍江省のロシア(ソ連)国境地帯、二〇一三年の第五回は華北の北部に位置する山西省と河北省と天津市だ。(第一回から第五回までの「万人坑を知る旅」については拙著三冊(注)に紹介しているので参照してほしい。) こうして、中国の北側から順に、東北と華北の万人坑と強制労働現場を確認してきた野津加代子さんと「万人坑を知る旅」訪中団が、中国の中央に位置する華中と南側になる華南の実情を確認したいと思うのは自然の成り行きだ。 そして、二〇一四年に予定する六回目の「万人坑を知る旅」訪中団の訪問先を検討する中で、中国南部に位置する華南を選定し、その華南の中でも最南端に位置する海南島を訪ねることになり、第六回「万人坑を知る旅」が実施された。さらに二〇一六年には、七回目の訪問先として中国の中央部に位置する華中を選定し、華中を西から東に横断して流れる長江の流域を訪ねる第七回「万人坑を知る旅」が実施された。 「万人坑を知る旅」に関わる四冊目の書籍となる本書では、第六回と第七回の「万人坑を知る旅」について報告する。読者の皆さん! 本書を通して、華南の海南島と華中の長江流域に現存する万人坑と強制労働現場を訪ねる旅を私たちの訪中団といっしょに体験しましょう。 (注)『万人坑を訪ねる‐満州国の万人坑と中国人強制連行』緑風出版 『日本の中国侵略の現場を歩く‐撫順・南京・ソ満国境の旅』花伝社 『華北の万人坑と中国人強制連行‐日本の侵略加害の現場を訪ねる』花伝社 書評 @『日中友好新聞』2019年10月5日 評者=日中友好新聞編集部 ⇒ 『日中友好新聞』書評 A『赤旗』2019年10月20日 評者=井上久士氏(日中友好協会会長) ⇒ 『赤旗』書評 B『歴史地理教育』2020年3月号 評者=原幸夫氏(歴史教育者協議会) ⇒ 『歴史地理教育』書評 (補足)花伝社のウェブサイト(下記)も参照ください。 『華南と華中の万人坑』の紹介ページ ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10032773.html | |
― 日本の侵略加害の現場を訪ねる ―
現在の日本で話題にされる中国人強制連行・強制労働のほとんどは、アジア太平洋戦争の末期に日本国内(内地)に強制連行されてきた約四万人の中国人に関する強制連行・強制労働のことである。しかし、日本国内に比べると被害規模が桁違い(三桁違い!)に大きい中国本土(大陸)における中国人強制連行・強制労働は日本ではほとんど知られておらず、日本で話題にされることもほとんどないのだと思う。 その中国本土における強制労働被害者の数は、「満州国」として日本が占領支配した東北(地方)で一六四〇万人、「満州国」と「国境」を接する華北(地方)では二〇〇〇万人にもなり、日本国内に強制連行された四万人(三万八九三五人)と比べれば正に桁違いである。 さて、中国本土における強制連行・強制労働のうち、東北(「満州国」)の実態については、その一端をこれまでに拙著三冊(注)で紹介してきた。その中で示しているように、「満州国」内の鉱山や土建工事現場などにおける強制連行・強制労働の実態は過酷かつ凄惨で、過労と飢えによる衰弱が主要な原因となり、あらゆる現場(事業所)で多数の強制労働被害者が死亡した。その中には、強制労働被害者の八割とか九割もが死亡する現場(事業所)も数多く存在している。そして、強制労働により死亡した膨大な数の犠牲者の遺体をまとめて捨てた「人捨て場」は、東北各地のいたるところに二一世紀の今も数えきれないほど現存している。その中には、捨てられた犠牲者の数が万の単位になる「人捨て場」も数多く残されていて、それらを含めた「人捨て場」を中国人は万人坑(まんにんこう)と呼んでいる。 そして本書では、「満州国」として日本に占領支配された東北より被害規模が大きい華北における中国人強制連行・強制労働について初めて紹介する。 その華北は、アジア太平洋戦争を遂行するための「戦力の培養補給の基地」だと日本が位置付けた地域であり、資源や食料や労働力の供給源と位置付けた華北に対する日本の支配は過酷で、鉱山や土建工事現場などで強制労働を強いられた中国人は二〇〇〇万人にもなる。さらに、華北内で強制労働させられた二〇〇〇万人とは別に、東北など中国各地や日本に一〇〇〇万人が労働力として強制連行されている。そのうち七八〇万人は東北(「満州国」)に連行されている。つまり、「満州国」で強制労働を強いられた一六四〇万人のうち約半数は華北から連行されてきた中国人だ。また、日本国内(内地)に強制連行された三万八九三五人のうち三万五七七八人は華北から連行されてきた中国人だ。 本書で紹介する華北における強制連行と強制労働の実態は、被害全体から見れば巨大な氷山の一角にもならないが、華北における強制連行・強制労働の一端を少しでも理解してもらえれば有難い。 さて、華北を占領支配し「戦力の培養補給の基地」とするため、八路軍などの抗日組織と住民を分断することが必要であり、そのため、辺鄙な農村を含む各地に日本軍は部隊を分散配置し、住民に対し苛烈な暴力支配を行なった、その中で、女性に対する性暴力犯罪も横行する。そのような、華北における日本軍の占領支配の実態を具体的に知るため、山西省盂県の性暴力被害者を私は二度訪ねた。その訪中記録を補足編として本書に収録するので、日本軍による華北支配の実態を知るための一つの参考にしていただければと思う。 それでは、万人坑など華北に現存する日本の侵略加害の現場を訪ねる旅にいっしょにでかけましょう。 (注)『二一世紀の中国の旅‐偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる』日本僑報社、二〇〇七年 『万人坑を訪ねる‐満州国の万人坑と中国人強制連行』緑風出版、二〇一三年 『日本の中国侵略の現場を歩く‐撫順・南京・ソ満国境の旅』花伝社、二〇一五年 評者=遠藤美幸氏(神田外語大学講師) ⇒ 遠藤氏書評(docxファイル) A『アヒンサー』2018年2月23日号 評者=室田元美氏(ライター) (「アヒンサー」とは、サンスクリット語で 「殺されたくない。殺したくない」という 意味です。) ⇒ 室田氏書評 B『日中友好新聞』2018年2月15日号 評者=丸山至氏(日中友好協会本部顧問) ⇒ 丸山氏書評 (補足)花伝社のウェブサイト(下記)も参照ください。 『華北の万人坑と中国人強制連行』の紹介ページ ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10033004.html | |
二〇一五年に日本は「戦後七〇年」を迎える。この「戦後七〇年」が持つ意味はいろいろあるが、日本にとっては、日本が起こした侵略戦争の敗戦から七〇年ということであり、日本の侵略で最も甚大な被害を受けた中国にとっては抗日戦争勝利から七〇年ということだ。そして、戦後七〇年を前に私が知りたいと思ったことは、日本の侵略で筆舌に尽くし難い惨禍を受けた中国が抗日戦争勝利七〇年をどのように迎えようとしているのかということだ。 そこで私は、日本の侵略で被害を受けた中国のたくさんの町や村を訪ね、惨劇の現場を確認し、被害者や遺族や研究者らから話を聞いた。こうして私が訪ね歩いた現場のうち、撫順と南京とソ満国境(ソ連と「満州国」の国境)の三カ所を取り上げ、「戦後七〇年」を迎えるそれぞれの情況を本書で紹介している。 それぞれ特徴がある現場のそれぞれの情況の紹介はここでは省略するが、本書で示した事実を基に、「戦後七〇年」を迎えようとしている中国の現状を一言でまとめると、日本の侵略で受けた惨禍に対する被害者の心の傷は癒えておらず、侵略・加害の事実を認めることすら拒み続ける日本に強烈な不信感を持っていると言うことができるだろう。 このように、日本に対する中国の情況は大変に厳しい。しかし、私たちにとって重要なことは、中国が非難しているのは安倍首相をはじめとする極右・靖国派の「指導者」であり、日本全体を批判しているのではないということだ。日本が起こした侵略戦争の責任は日本軍国主義の「指導者」にあり日本の一般民衆は中国人民と同じように被害者であるという中国指導者の考えは、中国の一般の人々にも広く浸透し徹底している。 このような情況を理解すれば、今、最悪の状態にある日中関係を改善する希望と期待を私たちは持つことができる。 こんなことを紹介する本書を、ぜひ手にとって御覧ください。 詳細は、花伝社のウェブサイト(下記)を参照ください。 ⇒ https://www.kadensha.net/book/b10033087.html | |
二〇〇〇年以降ほぼ毎年私は中国に行き万人坑を訪ねていますが、そのうち最近の四回の訪中・万人坑訪問の記録を収録する本・『万人坑を訪ねる』が二〇一三年一二月一〇日付で緑風出版から刊行されました。この本には、以下に記す万人坑の訪問記録を収録しています。 遼寧省:阜新炭鉱・北票炭鉱・大石橋マグネサイト鉱山・ 弓長嶺鉄鉱・本渓炭鉱 吉林省:石人炭鉱・遼源(西安)炭鉱・豊満ダム 黒龍江省:東寧要塞・鶏西炭鉱・鶴崗炭鉱 旧熱河省興隆県:蘑茹峪殺人坑・白馬川殺人坑 併せて、中国東北地方(「満州国」)の万人坑と中国人強制連行の全体像を把握しようと試みる一文も収録しています。 このホームページに関心を持たれた方は、『万人坑を訪ねる』をぜひ御覧いただき、詳しい事実を確認してみてください。本書に収録した四回の訪中記とまとめの一文を通して、侵略者の日本が中国に残した加害事実としての万人坑と中国人強制連行について、現在を生きる多くの日本の皆さんに理解してもらえれば嬉しいことです。併せて、中国やアジア各国に対する日本の侵略加害の事実を首相の安倍晋三ら歴史改竄主義者が消し去ろうとすることがどれほど罪深いことであるのかを実感していただくことができれば幸いです。 緑風出版の出版案内は下記を参照ください。 ⇒ https://ryokufu.com/product/8461-1323-0 | |
本書では、二〇〇〇年から二〇〇五年までに著者が訪ねた、中国東北地方(「満州国」)に残る、日本による侵略加害の跡を紹介しています。そのうち万人坑については、以下の六カ所の訪問記録を収録しています。 内蒙古自治区:ハイラル要塞 遼寧省:大石橋マグネサイト鉱山 吉林省延吉朝鮮族自治州:老頭溝炭鉱・板石炭鉱 吉林省:遼源(西安)炭鉱・豊満ダム ところで、このうちの四カ所は二〇〇九年以降に再訪しましたが、二〇〇四年以前の状況からはいずれも大きく変化していました。 ハイラルでは二〇〇八年に、それまではほとんど何も無かった日本軍要塞跡に大規模かつ近代的な記念館(資料館)が建設され、広大な要塞跡が歴史遺跡として整備されました。また、それまでは野ざらしのまま荒れ放題に放置されていた万人坑に巨大な追悼碑(記念碑)が建立され、広大な万人坑は周囲を柵で囲まれ、万人坑を保全するという中国当局の意志が明確に示される状況に変化しています。 大石橋では二〇〇六年に、万人坑発掘現場を保存していた古い小さな記念館が、大幅に拡張された近代的な記念館に建て替えられ、それまでは無かった資料館も新たに開設されました。 遼源では二〇〇五年に、遼源鉱工墓(万人坑)が全国規模の愛国教育基地に指定され、巨大で近代的な資料館が新たに開館し、何カ所もの万人坑発掘現場を保存する建物も新たに設営されました。 豊満では二〇一〇年に、侵略当時の日本人が偽善的に設置した中国人犠牲者「慰霊碑」が松花江河畔の元の場所から万人坑記念館の中庭に移設されるなど、記念館の新たな整備が始まっています。 老頭溝と板石は再訪していないので最新の状況を承知していませんが、ともかく、再訪した四カ所の万人坑では、いずれも二〇〇五年以降に記念・保存施設の大幅な拡充が実施されています。日本による侵略犯罪を決して忘れないという中国指導者の意志が明確に反映された結果だと思いますが、このような中国の対応に、このところ特別に酷い情況に変化した日本の右傾化・軍事大国化が影響を与えているのは間違いありません。 二〇〇五年までに私が訪ねた万人坑は、それから一〇年も経たないうちにこのような情況に変化していますが、『偽満州国に日本侵略の跡を訪ねる』では、近代的に改装・整備される前の「素朴」な万人坑を紹介しています。ぜひ、皆さんの手に取っていただき御覧いただければと思います。 日本僑報社の出版案内は下記を参照ください。 ⇒ http://duan.jp/item/044.html また、下記のウェブサイトも参照してみてください。 ⇒ http://eritokyo.jp/independent/bookreview-aokishigeru0001.html | |
一九二〇年に生まれ、幼いころから軍国日本の侵略思想をたたき込まれた近藤一(はじめ)さんは、日本軍兵士として中国山西省で三年八カ月にわたり中国軍民に対し暴虐の限りを尽くしました。その後、所属部隊と共に転進した沖縄では、日本軍の最前線に配置され、圧倒的な軍事力を持つアメリカ軍に徹底的にたたきのめされました。 中国に対する侵略戦争と沖縄戦を日本軍兵士として体験した近藤さんは、一九八〇年代から自らの体験をありのままに語り始めました。その近藤さんの話の主な論点は二つです。一つは、決して許されない、また繰り返してはならない日本による中国侵略の惨状です。もう一つは、沖縄戦の悲惨な実情です。 近藤さんはあちこちに招かれ、九〇歳台半ばまで現役の語り部として自らの体験を語り続けられました。そんな近藤さんの生きざまを記録したのが本書です。近藤さんの体験と、二度と侵略をしてはならないという近藤さんの想いをぜひ御覧になってください。 風媒社の出版案内は下記を参照ください。 ⇒ http://www.fubaisha.com/search.cgi?mode=close_up&isbn=0532-2 |