書評で言及している本多公榮さんについて

半沢里史/歴史教育者協議会  

 本多公榮という人は、東京の公立中学を教師として歴任した人で、『ぼくらの太平洋戦争』(鳩の森書房、1973年1月刊)は、当時、日本の(世界の)歴史学者の誰もが明らかにしていなかったアジア太平洋戦争のアジア各国の戦死者数を、(東京の中学校ならではですが)受け持ちの中学生に各国大使館を回って調べさせ、明らかになるだけ明らかにした記録を収録している本です。その記録は、刊行後しばらくして、あらゆるところで取り上げられる記録になりました。つまり、歴史教育の成果が歴史学研究を塗り替えたのです。
 また、本多公榮さんには数多くの歴史教育実践があり、それまで、父母の歴史や家族の歴史を聞き取りさせることで戦争学習に深みを与えていた(歴史を自分の問題として考える)ことをそれだけで終わらせず、被害だけでなく加害の観点をはじめて取り入れた戦争学習として実践し、歴教協の戦争学習・近代史教育実践の大きな画期として位置づけられる教育実践を実行した人です。
 その後、本多公榮さんは、教科書問題での国会証言や教科書裁判などにも活躍され、歴教協の初代の専従事務局長をやったあと、宮城教育大学の教授になりました。私は福島大学でしたが、ちょうど大学3年次に本多公榮先生の出張授業を半年受けています。

 歴教協は、その母体となった歴史学研究会も、戦前の皇国史観=軍国主義勃興期に東大の官学アカデミズムを批判して生まれてきた学会ですし、大学の研究者だけが研究者じゃない、市井の在野の研究者こそ本当にいい仕事をするのだ、市民と民衆と手を結ばなければ本当にいい教育なんかできない、そういうことにこだわり続けてきた民間教育団体なので、分かる方には分かるけど…………、会員でも、年配の会員じゃないと分からないことを書いてしまったなーという書評だと思います。