撫 順 炭 鉱 万 人 坑

 撫順炭鉱万人坑
遼寧省撫順市

 「帝国の宝庫」・撫順炭鉱
 石炭の都として有名な中国遼寧省の撫順に、巨大な露天掘りで知られる撫順炭鉱がある。その撫順炭鉱の石炭を略奪するため、1905年から1945年まで40年間にわたり日本が撫順を占領支配した。南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営する撫順炭鉱の1936年の石炭産出量は962万トンに達し、これは、当時の東北(「満州国」)の産炭量の77パーセント、中国全体の産炭量の30パーセントに相当する。そして、1945年までに2億トンの石炭を日本は略奪し、撫順炭鉱は「帝国の宝庫」と称された。

 労働資源の略奪
 当時の炭鉱は採炭設備が貧弱なので、石炭を産出するため大量の労工(労働者)を確保することが必要となる。撫順炭鉱においても、大量の労工を確保するため、撫順炭鉱を経営する満鉄と、「満州国」の軍事支配を担う関東軍と、東北を統治する「満州国」政府が夫々に手を尽くした。以下で、夫々の動きを確認しておこう。
 満鉄は華北に目を付ける。1920年代の前後、華北の河北省や山東省では、自然災害や人的災禍のため生計を立てることができない人々があふれ、毎年数十万人の規模で東北(「満州」)に出稼ぎに来て働いていた。満鉄はこれに目を付け、1911年3月には既に芝罘(煙台)に労工募集所を開設している。さらに、1916年には青島に労工募集所を開設するほか、即墨・済南・胶州などに駐在所を設置し、1920年代には多数の労工募集所が各地に開設された。そして、労工募集所に雇われた漢奸(中国人売国奴)らが言葉巧みに話す嘘にだまされ労工募集に応じた人々は、撫順に来ると自由を奪われ、過酷な労働を強制されることになる。
 関東軍は、東北(「満州国」)内で拘束し捕虜にした抗日組織の関係者らを1938年に初めて撫順炭鉱に連行し、特殊労働者(特殊労工)として労働させた。これは、日本が特殊労働者を使役する初めての事例になる。これ以降、特殊労働者が撫順炭鉱に続々と送り込まれた。一方、1941年4月5日に関東軍と華北軍が協定を結び、華北で集めた中国人を東北に連行し、労工として労働させることになる。この協定に基づき、華北で拘束された一般民衆を含む多数の捕虜が特殊労働者として東北各地に連行された。そのうち撫順に連行された者は、1945年までに4万人余になる。特殊労働者に対する管理は厳重で、宿舎の周囲は鉄条網に囲まれ、作業現場への行き帰りは武装部隊が監視する。1942年7月には、警務隊・予備隊・労工補導班などの統治機構が整備された。
 「満州国」政府は、華北から連行してくる労工だけでは不足するため、「満州国」内での一般民衆の徴用を強化する。1941年には、住民を強制的に徴用する法律を制定し、指名する者を各現場に出頭させた。1942年5月27日には国民勤労奉仕制創立要綱を可決し、21歳から23歳の男子で兵役に就かない者を国民勤労奉仕隊に入隊させることを決める。勤労奉仕期間は3年間で延べ12カ月、戦時には期間を延長するとされた。また、監獄と矯正補導院に収監している服役者も労工として徴用した。

 強制労働による膨大な犠牲者
 「満州国」内外から徴用された中国人労工に対し撫順炭鉱の経営者はファシズム支配を強行し、劣悪な生活条件の下で過酷な労働を強制された中国人労工は多数が死亡する。一方、労工の死亡を日本の関係者は隠蔽し、日本の敗戦後は関係者が撤退する前に大多数の資料を処分した。
 しかし、1907年から1931年までの撫順炭鉱の労工の在籍人数・受傷者数・死者数は明らかにされている。それによると、1907年から1930年までの24年間の死者数の合計は7143人で、平均すると毎年300人弱(298人)が死亡している。それが、1931年になると1年間で3346人が死亡し、いきなり、前年までの平均死者数の10倍になる。柳条湖事件(九一八事変=1931年)を口実に東北(「満州」)侵略を日本が公然と開始するのに伴い、中国人労工に対する扱いが激変したのではないかと想像される。
 一方、1932年の「満州国建国」以降については正確な死者数を筆者は把握できていないが、1959年に遼寧省人民出版社から出版された『石炭の都‐撫順』には、日本占領下の40年間における撫順炭鉱での中国人労工死者数は25万人から30万人だと記録されている。そうすると、1932年の「満州国建国」以降は、平均すると毎年2万人近くが死亡していることになる。そして、大量の犠牲者の遺体が撫順の各地に捨て(埋め)られ、数多くの万人坑(人捨て場)が形成された。

 撫順に残された万人坑
 1971年に撫順市階級教育展覧館が、撫順に残された万人坑について広範に調査し、36カ所の万人坑を確認した。その結果、有力な炭鉱(坑口)で労工がたくさんいたところの全てに万人坑が存在することが明らかになった。その当時は、撫順炭鉱と万人坑の実態を知っている若くて(お年寄りも含めて)元気な人がたくさんいたので、正確な調査を実施することが可能だった。
 1998年末から2000年末にも調査が行なわれ、1971年の調査で確認された、勝利鉱の南にある劉山邱楼子や、老虎台鉱の南にある青草溝など規模の大きい万人坑8カ所が調査された。
 現在は、東西の露天掘鉱が拡大し、撫順各地の市街化が急速に進行するなどで万人坑の多くが確認できなくなっている。しかし、撫順炭鉱の強制労働で25万人の中国人労工が死亡し数多くの万人坑が形成された事実は厳然としている。

現地訪問:2017年8月29日 

 撫順炭鉱西露天掘鉱 1
 110年余前から採炭が行なわれ、幾つかの露天掘鉱がつながり巨大な一つの穴になったのが現在の西露天掘鉱。約5キロ先の「対岸」はモヤで霞んで見えない。

 撫順炭鉱西露天掘鉱 2
 西露天掘鉱の深さは400メートル。石炭を掘る巨大なパワーショベルと、石炭を運搬する巨大なトラックが「穴」の斜面と底に見える。この巨大な穴に撫順の旧市街は完全に飲み込まれ消えてしまった。

 撫順炭鉱西露天掘鉱 3
 採炭は現在も続いており、西露天掘鉱の縁(地表)と底を結ぶ坂道を大型トラックが行き来するのが見える。露天掘鉱の縁に沿って炭鉱専用の鉄道が敷設されていて、手前側に駅も見える。

 老虎台鉱事務所の正門
 西露天掘鉱の東方にある東露天掘鉱の南側に位置するなだらかな丘陵の上に老虎台鉱の事務所がある。ここは正門入口で、蔦に覆われる事務棟が奥に見える。

 老虎台鉱事務所の事務棟
 前の写真の正門の奥に見える、うっそうとした蔦に覆われる二階建ての事務棟。背後の小高い丘陵の向こう側(奥側)に東露天掘鉱がある。

 老虎台鉱事務所の構内
 新旧の建屋が建ち並ぶ事務所構内の背後にある小高い丘陵の上に、縦坑櫓と思われる炭鉱設備が見える(写真の中央、やや右寄り)。

 老虎台鉱の縦坑櫓(?)
 1930年当時の撫順炭鉱には、3カ所の露天掘鉱と、地下深い炭層から石炭を採掘する13カ所の縦坑があった。縦坑では、石炭を満載するトロッコを地下深くから引き上げ、労工を地下の採炭現場に行き来させるのに縦坑櫓の昇降設備が利用された。

 老虎台の集合住宅地区
 老虎台鉱事務所の南東方向のすぐ近くにある集合住宅地区。この「通り」の手前側に万人塔の跡がある。また、この先(写真の奥側)に青草溝の窪地の北側の端があり、そこに万人坑の跡がある。

 老虎台の万人塔跡 1
 撫順炭鉱で死亡した労工に対する見せかけの慰霊のため、現在は集合住宅地区になっている老虎台の丘陵地のこの場所に日本人が慰霊塔を建立した。

 老虎台の万人塔跡 2
 日本人が建立した慰霊塔の周辺に、炭鉱で死亡した労工の遺体が捨てられているので、地元の人は慰霊塔を万人塔と呼んだ。現在は、万人塔は既になくなっていて、跡地には畑と草原が残るだけだ。

 傅波教授(左)と商さん
 撫順市社会科学院前院長の傅波教授(左)と、1952年からこの辺り(現在の集合住宅地区)に住んでいる商さん(86歳・右)が、老虎台の丘陵地にある万人坑跡を案内してくれる。

 老虎台の万人坑跡 1
 老虎台のなだらかな丘陵地にある集合住宅地区の南側になるこの辺りが万人坑だった。地元住民の商さん(86歳)と傅波教授(写真の手前側の二人)が案内してくれる。

 老虎台の万人坑跡 2
 商さんが見つめる金網の先に広大な窪地が広がっている。かつて、大規模な万人坑が形成された青草溝の窪地だ。

 老虎台の万人坑跡 3
 かつて万人坑だった地で地元の人が野菜を栽培している。場所は、青草溝万人坑の北の端になる辺りだ。

 老虎台の万人坑跡 4
 撫順炭鉱の万人坑について傅波教授がいろいろと説明してくれる。25万人が犠牲になった撫順炭鉱で万人坑がきちんと保存されていないのは残念だ。

 青草溝
 老虎台のなだらかな丘陵の南側に、青草溝の広大な窪地が拡がる。かつては人気のないところであり大規模な万人坑が形成されたが、現在では、たくさんの建物が建てられている。




「万人坑を知る旅」index

「 満 州 国 」 の 万 人 坑
 内蒙古自治区 ハイラル要塞万人坑
 黒龍江省   鶴崗炭鉱万人坑  鶏西炭鉱万人坑  東寧要塞万人坑
 吉林省    豊満ダム万人坑  遼源炭鉱万人坑  石人血泪山万人坑
 遼寧省    北票炭鉱万人坑  阜新炭鉱万人坑  本渓炭鉱鉄鉱万人坑  弓長嶺鉄鉱万人坑
        大石橋マグネサイト鉱山万人坑  大石橋マグネサイト鉱山万人坑(2)
        金州龍王廟万人坑  新賓北山万人坑  撫順炭鉱万人坑  旅順万忠墓
        阜新炭鉱万人坑(2)  北票炭鉱万人坑(2)  平頂山惨案
 河北省(旧熱河省) 承徳水泉溝万人坑

華 北 の 万 人 坑
 河北省    宣化龍煙鉄鉱万人坑  潘家峪惨案  石家庄強制収容所  井陉炭鉱万人坑
 山西省    大同炭鉱万人坑  大同炭鉱万人坑(2)
 天津市    塘沽強制収容所

華 中 ・ 華 東 の 万 人 坑
 安徽省    淮南炭鉱万人坑
 江蘇省    南京江東門万人坑  南京上新河万人坑  南京普徳寺万人坑
        南京東郊合葬地
 上海市    銭家草惨案

華 南 の 万 人 坑
 湖南省    廠窖惨案(廠窖大虐殺)
 海南省    八所港万人坑  石碌鉄鉱万人坑  田独鉱山万人坑  陵水后石村万人坑
        南丁(朝鮮村)千人坑  月塘村「三・二一惨案」  北岸郷「五百人碑」


付 録 : 朝 鮮 を 知 る 旅
        朝鮮の人たちの日常 2014年

付 録 : 日中友好新聞連載記事
        中国本土に現存する万人坑と強制労働現場を訪ねる



 注意:無断引用・転載はお断りします。引用・転載などを希望される方は、下のメールフォームをとおして、当ホームページの担当者に相談してください。


お知らせのページ

行事案内やニュースなどを不定期に追加・更新します。
時々覗いてみてください。


御 案 内
「中国人強制連行・強制労働と万人坑」の学習会をしませんか!

 中国に現存する万人坑(人捨て場)と、万人坑から見えてくる中国人強制連行・強制労働について考えてみませんか!
 「中国人強制連行・強制労働と万人坑」について事実を確認してみたい、学習会や集会をやってみたいと思われる方は、当ホームページ担当者に気軽に連絡・相談してください。日程や条件が折り合えばどこへでも出向き、話題と資料を提供し、できる限りの解説をします。仲間内の少人数の勉強会とか雑談会のような場でもよいですし、不特定の一般の方も参加していただく集会のような形式でもよいです。開催形式・要領は依頼者にお任せします。まずは当方に連絡していただき、進め方などを相談しましょう。
 それで、謝礼などは一切不要ですが、資料の印刷と担当者の会場までの交通費実費だけは、依頼される方で負担してくださいね。
 当方への連絡は、メールフォームまたは下記メール宛でお願いします。
   ⇒ メールアドレス:

青木 茂 著書の紹介


 差し支えなければ、感想、ご意見等をお送りください。
メールフォームのページへ