豊 満 ダ ム 万 人 坑

 豊満ダム万人坑
吉林省吉林市

 1931年以降中国東北地方を全面的に日本が侵略する中で足枷になった電力不足に対処するため、吉林市南東の「風の門」という名の2つの山の間を流れる松花江を「風の門」で堰き止め豊満ダム・豊満水力発電所を造ることを日本は決める。そして1937年4月に、長さ1100メートル・高さ91メートルのダム堤体を有する豊満ダムの建設工事が始まり、6年の歳月をかけ1942年9月に完成し、1943年春に発電を始めた。
 一方、豊満ダム建設に徴用された中国人労工15万人余は、過酷な環境の下で強制労働を強いられ、飢餓・過労・病気・事故・虐待などで少なくとも1万5000人が死亡した。死亡した中国人労工の多くは、豊満ダム下流の松花江右岸の河岸段丘に捨てられ、人捨て場たる万人坑が形成された。

写真撮影(2010年9月24日)と解説 青木 茂

松花江右岸の河岸段丘にある農村
 豊満ダム下流の松花江右岸にある河岸段丘の広いなだらかな平坦地に畑が広がり、一軒家の民家がぽつりぽつりとあったり、何軒かの民家が集まっていたりする農村がある。畑にはいろいろな作物が育っているが、ここのトウモロコシは背丈が高く3メートルくらいはある。
 こののどかな様子の農村の畑から、豊満ダム建設の強制労働で犠牲になった中国人労工の遺骨が今でも出てくる。豊満ダム建設に徴用された中国人労工の惨劇を明らかにし、加害者の日本を告発している吉林市労工記念館(豊満万人坑記念館)は、このすぐ先にある。

吉林市労工記念館 資料館「労工苦難史展庁」
 吉林市労工記念館の入口から構内に入ると、中央の広場をはさんで向かい側の正面に労工苦難史展庁(資料館)がある。資料の展示は3部構成で、第一部では、豊満ダム建設に徴用された中国人労工の苦難の歴史が説明されている。第二部は、「労工の闘いの歴史」「日本人と戦った記録」という主題で展示されている。その中に、中国人に酷い仕打ちを加えた日本人監視人として毛利・矢吹・中原などの個人名を挙げ、彼らに対し中国人労工がどのように闘ったのかを示す説明パネルがある。第三部は、「新中国建設後の歴史」という主題で1945年以降の写真などが掲示され、豊満ダムの現在の状況も紹介されている。

労工苦難史展庁の展示資料、労工の像
 豊満ダム建設工事を直接担う中国人労工は主に三つの手段で確保した。一つ目は、華北での労工の募集である。「豊満で1日1元稼ぎ、米や白い麺を毎日食べる。寮に住み、引越し手当が出る。1年間働いた者は無料で故郷に送り返す」などの嘘を並べ、苦しい生活にあえぐ華北の農民らをだまして集めた。「偽満州国」労働管理概況の1941年の統計によると、1937年から1941年までに10万1410人の労工が華北から集められた。
 二つ目は、捕虜と「犯罪者」の徴用である。東北抗日連軍の関係者や石家荘などの捕虜収容所に収監されている捕虜を豊満に連行し、厳しい監視下で強制労働に従事させた。
 三つ目は、日本の傀儡国家「偽満州国」内での勤労奉仕隊としての募集である。しかし、勤労奉仕とは名ばかりで、「偽満州国」内の各地に供出人数を強制的に割り当て、有無を言わさず徴用した。
 こうして豊満ダム建設に集められた中国人労工は15万人余になる。そして、劣悪な生活環境の下で過酷な労働を強制され、少なく見積もっても1万5000人が死亡した。

吉林市労工記念館 豊満万人坑遺骨館
 吉林市労工記念館の入口から構内に入ると、中央広場の左の方に遺骨館がある。遺骨館は幅20メートル・奥行き10メートルほどの白い建物で、豊満万人坑の発掘現場をそっくり覆うように建てられている。この日は遺骨館外壁の補修工事が行なわれていて、ハシゴと脚立を使い職人が壁に手を入れている。

豊満万人坑遺骨館 その1
 正面入口から遺骨館に入ると手前側に幅3メートルほどの廊下があり、その先が、1メートルほど掘り下げられた、幅19メートル・奥行き7メートル程の万人坑発掘現場だ。ここに、人の形に整えられた33体の遺骨が並べられている。これは、発掘した遺骨の中から特徴的なものを選び、きれいに並べ直したものだ。33体の遺骨の中には13歳の子どもの遺骨もある。また、凍死したことが分かる遺骨や、頭に釘を打たれ死亡した労工の遺骨もある。

豊満万人坑遺骨館 その2
 豊満ダム建設工事中は労工の遺体は乱雑に穴に放り込まれ高く積み上げられたので、豊満万人坑の遺骨はぐちゃぐちゃの状態で積み重なっている。この目の前の、1メートルほどの深さまで掘り下げられた発掘現場の縦断面を見ると、遺骨が幾つもの層になり折り重なっているのが分かる。
 そういう現場なので、掘り出された遺骨は大量にあり、人の形をとどめず整理もされていない遺骨が発掘現場のあちこちにかためて置かれている。頭蓋骨だけを集めた一角もある。こんな状況なので、並べ直された33体の遺骨以外に遺骨が全部で何体あるのか分からない。
 そして、ここでも見落としてはいけないのは、この遺骨館の周辺一帯全てが遺体が埋められた万人坑であることだ。遺骨館内の現場以外はきちんと発掘されていないので直接確認できないだけで、このあたり一帯の地中には遺骨が埋まったままになっている。周辺の農地から今でも遺骨が出てくることがある。

豊満万人坑遺骨館 その3
 ダム工事が始まった当初は適当な食事が中国人労工に支給されていた。しかし、やがて労工の数が増え、把頭(中国人の管理者)が食料の上前をはねるようになる。そして、日本が戦線を拡大し太平洋戦争の泥沼に陥ると「偽満州国」は米などの供給地とされ、食料に対する制限が「偽満州国」内で一層厳しくなる。労工は、コーリャンとわずかばかりの野菜しか与えられなくなるなど満足な食事を摂ることができなくなり、「皮が骨を包む」と表現されるほどに痩せ衰えた。
 こうした状況下で中国人労工は、12時間労働の二交代制で実質は1日12時間以上の労働を強制された。朝6時からの作業には5時に起こされ、点呼に少しでも遅れると棒で殴られた。作業中は監視の目が光り、腰が伸びるとさぼっているとして殴られ、休む暇もなく作業を続けさせられた。
 工事現場に安全施設はなく作業の安全は無視され、感電・爆発・墜落などで死亡事故が頻繁に発生した。両岸から延びてきたダム堤体が中央部で接合された直後に水の圧力でダム堤体が崩れた事故では、200名余の労工が松花江に流され死亡した。
 このような状況下で、飢餓・過労・病気・事故・虐待などで1万5000人の中国人労工が死亡した。



 豊満水力発電所の建設に徴用された中国人労工が氷の塊を取り除いている。
【李秉剛教授(北京)提供写真】

 豊満水力発電所の労工が工事を行なっている様子
【李秉剛教授(北京)提供写真】

 豊満水力発電所の労工小屋(宿舎)
【李秉剛教授(北京)提供写真】

 中国人労工を(大切に扱い、犠牲者は丁寧に)慰霊しているとごまかすため、日本侵略者は「工人慰霊碑」を建てた。
【李秉剛教授(北京)提供写真】

 「工人慰霊碑」の碑文
【李秉剛教授(北京)提供写真】

 かつて日本侵略者が労工を奴隷労働させた罪行を、豊満労工の王有清が1964年に「工人慰霊碑」の前で告発する。
【李秉剛教授(北京)提供写真】




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