遼源炭鉱万人坑 吉林省遼源市.
1931年に西安炭鉱(遼源炭鉱の当時の呼称)を占領支配した日本は、華北地方や東北地方(偽満州国)から中国人を徴用し、西安炭鉱の各採炭所に送り込み、劣悪な環境の下で強制労働させた。そして、1945年までの14年間に石炭1581万トンを略奪し、8万人以上の中国人労工を死亡させた。八万余の遺体は西安炭鉱周辺の各地に分散して埋められ、六つの主要な万人坑(人捨て場)が遼源(西安)に形成された。
写真撮影(2010年9月23日)と解説 青木 茂 . |
遼源鉱工墓陳列館 遼源に六ヶ所ある主要な万人坑の一つが方家墳万人坑で、西安(遼源)炭鉱の強制労働で死亡した8万人以上の中国人労工のうち一万人余が方家墳万人坑に埋められている。その方家墳万人坑に遼源鉱工墓・鉱工記念館が設営されている。そして2005年に、遼源鉱工記念館の劉玉林館長(当時)らの長年の努力により遼源炭鉱万人坑は全国愛国主義教育基地に指定された。同じ年(2005年)に、新しい資料館として遼源鉱工墓陳列館が開館している。 |
遼源鉱工墓陳列館 館内の展示 遼源鉱工墓陳列館では、1931年から1945年までの日本侵略時代の西安(遼源)炭鉱における中国人強制連行・強制労働に関わる被害を主題に展示している。また、1911年の一人の農民による炭鉱の発見から、日本が炭鉱経営に参入するのを張作霖・張学良が阻止していた1931年までの西安炭鉱の様子も紹介されている。 この写真の二人のうち、展示パネルを指し示し説明しているのが劉玉林元館長、説明を聞いているのが李秉剛教授(今回同行の歴史研究者)。 | 遼源鉱工墓 丘の上の記念碑 遼源鉱工墓陳列館の裏手に小高い丘があり、「日偽統治時期遼源炭鉱死難鉱工墓」と刻まれた黒い大きな記念碑が丘の頂上に建っている。そして、陳列館から記念碑まで、幅20メートルくらいの緩やかな傾斜の階段が続く。この記念碑のある小高い丘と周辺の丘陵が方家墳万人坑であり、この辺り一帯の20万平方メートルの範囲に一万余の遺体が埋められている。そして、ほとんどの遺骨は今もそのまま残されている。 |
遼源鉱工墓遺骨保存館 その1 遼源鉱工墓・遼源鉱工記念館は、遼源に六ヶ所ある主要な万人坑の一つである方家墳万人坑に設営され、丘陵というかなだらかな山地にある方家墳万人坑には一万人余の中国人労工の遺体が埋められている。 その方家墳万人坑を調査し遼源鉱工記念館の主要施設として整備するため、遺体埋葬地の一角を遺骨が見えるところまで掘り下げ表土を除き、遺体が埋められた当時のままの状態を直接見えるようにした。そして、発掘現場をそのまま保存するため、壁面以外には柱の無い巨大な体育館のような建物をその真上に建て、発掘現場がそっくり覆われた。その建物が遺骨保存館であり、館内に入ると、この光景が目の前に広がる。侵略の実態を知らない日本人も、遺体が埋められた当時そのままの状態をここで知ることができる。 |
遼源鉱工墓遺骨保存館 その2 遺骨発掘現場は方家墳山中の緩やかな斜面の一角にあり、頭を斜面の上側、足を斜面の下側にして埋葬された遺体が等高線に沿い整然と並んでいる。列をなす遺骨の隣りとの間隔は握りこぶし一つ分くらいで、等高線に沿う遺骨の列が斜面の上段・中段・下段に3列ある。発掘現場の広さは296平方メートルで、ここに179体の遺骨が並ぶ。その中に、三〇人余の子どもと女性一人が含まれている。また、二人は印鑑を持っていたので名前が分かっている。 そして改めて確認しておきたいことは、この遺骨保存館の外の谷側にも山側にも左右(前後?)の等高線沿いにも遺体が同じようにびっしり埋められていることだ。表土を取り除き遺骨を見えるようにしてないだけで、この方家墳の山肌一帯に遺体が埋められている。 |
遼源鉱工墓遺骨保存館 その3 遺骨が整然と並び丁寧に埋葬されているのは、遺体処理を命じられた中国人労工が同朋の中国人の遺体を大切に扱い丁寧に埋葬したからだ。冬は地面が凍りつき穴を掘れないので、遺体を埋葬する穴を夏のうちに掘って準備していたとのことだ。 この遺骨発掘現場をそっくり覆い保存する体育館のような建物は、山の斜面の等高線に垂直で出入口のある壁が間口25メートルくらい、等高線に平行な壁が奥行き50メートルくらいで、斜面の低い方の壁側には、建物の2階に相当する位置に参観者用の通路が設けられている。 | 被害者の牛世清さんと工票(給料明細書) 遼源鉱工墓には小さい遺骨館も幾つか建てられている。その一つがこの遺骨館で、もともとここには、1963年9月7日に発見された牛世清さんの遺骨を含む3体の遺骨が安置されていたが、牛世清さんの遺骨は北京の抗日戦争記念館に移され、今は他の2体だけが残され安置されている。そして、牛世清さんの遺骨があった位置には鮮やかな花が供えられている。 牛世清さんは工票を持っていたので名前が判明したが、その工票により、中国人労工に対する搾取の実態も明らかになった。この遺骨館の説明板に次のように記されている。 「工票(給料明細書)/ここは、牛世清の工票を発見した場所である。工票には、康徳9年(1942年)11月の牛世清の所得が記載されている。それによると、給料は32.34元だが、控除金27.2元と先月の借金9.38元を合わせた36.58元が差し引かれ、一ヶ月働いた結果、わずかな給料ももらえないまま、鉱山に対し4.24元の借金が逆に残った。この工票は、日本の中国侵略と中国人民に対する残忍な搾取の最も有力な証拠である」。 |
日本統治時代の西安炭鉱(遼源炭鉱の当時の名称) 【李秉剛教授(北京)提供写真】
| 【李秉剛教授(北京)提供写真】
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【李秉剛教授(北京)提供写真】
| 西安炭鉱労工証 【李秉剛教授(北京)提供写真】
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【李秉剛教授(北京)提供写真】
| 火葬された死亡労工の骨灰が万人坑の中に大量に残されている。 【李秉剛教授(北京)提供写真】
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【李秉剛教授(北京)提供写真】
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