朝鮮の人たちの日常 2014年


朝鮮の人たちの日常 2014年

 二〇一四年の黄金週間に観光旅行で初めて朝鮮を訪ねた。それまでに海外へは何度も行ったことがあるが、朝鮮を訪ねたことはなかった。それゆえ、二〇一四年の朝鮮訪問は私にとって貴重な体験になった。
 その朝鮮に対し日本のマスコミは悪意に満ちた否定的な報道を垂れ流すばかりなので、朝鮮の実情に触れる機会が全くない多くの日本人は朝鮮を変な国だと考え、朝鮮の全てを否定的に捉えているように思う。例えば、三代にわたり金氏父子が権力を継承する独裁国家だと批判する人がいる。しかし、そのように朝鮮を批判するのであれば、明治以降四代にわたり天皇父子が権力を継承する日本はどうなのだろう。天皇の「悪口」(公知の事実)を言うだけで命まで狙われるのが日本だ。朝鮮を変な国だと考えるなら、日本だって変な国だと考えざるをえない。はたして朝鮮は、本当に全てが変な国なのだろうか。
 ともあれ、相手の全てを否定するのでは、お互いに理解しあうことはできない。まず、朝鮮の実情を知ることが日本人には必要だ。しかし、朝鮮の実情を伝える情報が日本には極めて少ないのが現実だ。それゆえ、私が朝鮮で見聞したことを紹介することも日本人が朝鮮の実情を知るのに少しは役立つと思い、私の朝鮮訪問記をお届けしたい。
(本文に続けて当ホームページに写真を掲載しているので参照ください)




平壌(ピョンヤン)‐万寿台の新郎新婦
 四月二七日に名古屋から北京に入った私たちは、翌二八日に朝鮮の高麗航空を利用し北京から平壌に向かい、午後三時過ぎに平壌・順安空港に到着する。北京から平壌までは約二時間で、朝鮮国際旅行社の金春益さん(男性)と金順英さん(女性)が順安空港で迎えてくれた。二人は、これから朝鮮出国までの全行程を案内してくれるガイドだ。二人とも日本語がとても上手で、込み入った話でも何も問題なく普通に話すことができる。
 さっそく、貸切りの観光バスに乗り順安空港を出発し、三〇分ほどで平壌市街まで移動する。そして、まず最初に万寿台の丘に行く。万寿台は平壌中心部で一番高いところにあり、平壌市街を見渡すことができる。その万寿台の丘の上に朝鮮革命博物館があり、博物館の前に金日成と金正日の巨大な像が設置されている。
 この日は日柄が良いのか結婚式がたくさん行なわれたようで、家族や友人に付き添われた新婚の花嫁・花婿が万寿台の丘に何十組も訪れている。昼間に結婚式を行ない、夕刻の披露宴までの間に新郎新婦が名所旧跡をあちこち回り記念写真を写すのが朝鮮では流行になっているとのことだ。昔はプロの写真家に記念写真を写してもらっていたが、今ではデジタルカメラが普及しているので、友人や家族が写真係を買って出ている。新婦は、赤や桃色を基調とする婚礼用の色鮮やかなチョゴリを着ているが、新郎はだいたい(日本人の感覚では)普通のスーツにネクタイ姿で、「人民服」とでも呼ぶのか詰襟の服装の新郎も一部にいる。ともあれ、何十組もの新郎新婦と付き添いの家族・友人が万寿台の丘を訪れ、嬉しそうに記念写真を写している光景はほほえましく、嬉しい気分になる。


 万寿台公園/平壌(ピョンヤン)
 万寿台公園は平壌市内の高台にあり、平壌市街を見渡すことができる。この日は日柄が良いのか、たくさんの新婚カップルが、家族や友人に付き添われ訪れていた。新婚の記念写真を万寿台公園で写すのが「定番」になっているようだ。
2014年4月28日撮影

 平壌市街を見渡せる万寿台の舞台にて(1)

 平壌市街を見渡せる万寿台の舞台にて(2)

 平壌市街を見渡せる万寿台の舞台にて(3)

 平壌市街を見渡せる万寿台の舞台にて(4)

 平壌市街を見渡せる万寿台の舞台にて(5)

 万寿台の舞台から女神の像の噴水に向かう(1)

 万寿台の舞台から女神の像の噴水に向かう(2)

 女神の像の噴水にて(1)

 女神の像の噴水にて(2)

 女神の像の噴水にて(3)




板門店‐南北の軍事境界線
 朝鮮訪問二日目の四月二九日は早朝に平壌を出発し、高速道路を利用して板門店に向かう。そして約三時間で、板門店の非武装地帯とその先にある軍事境界線に着く。
 板門店は、南の韓国アメリカ軍と北の朝鮮軍が対峙する軍事境界線にあり、一触即発の緊張感ばかりが日本で報道されるが、朝鮮側から観光客として訪ねる板門店は観光名所そのものという感じだ。アメリカ人を含む欧米人などたくさんの観光客が訪ねてきている。個人旅行でやってきた若い日本人夫妻にも出会う。写真撮影も全く自由で、軍事境界線とその周辺を案内してくれる朝鮮軍兵士と並んで記念写真を写すこともできる。
 南北の軍事境界には柵とか壁の類は無く、平坦な地面に境界線に沿い、高さ数センチ・幅三〇センチくらいの段差があるだけだ。その軍事境界線の間近まで観光客は行くことができる。境界線の向こう側には韓国軍兵士がいて、形の上では朝鮮軍兵士と対峙している。その韓国側(南側)にも観光客が大勢来ていて、こちら側(北側)を眺めている。




開城(ケソン)‐高麗王朝の都
 板門店を出て、ほんの一〇分ほどで開城市街に入る。開城は、朝鮮半島最初の統一国家である高麗王朝の都として栄えた町で、高麗王朝時代の史跡のうち十数カ所が世界遺産に登録され、観光名所になっている。日本で言えば京都や奈良のような町だ。
 開城市内の食堂で、高麗王朝の宮廷料理を再現する豪華な昼食を食べる。その食堂のすぐ前に、世界遺産の一つである石造りの橋・善竹橋がある。この善竹橋を絵に描くのが人気のようで、一〇人くらいの人がそれぞれキャンバスに向かい絵筆を走らせている。善竹橋と「画家」たちを私が見に行くと、ちょうど下校時刻になったのだろう、小学生の一団が善竹橋の脇を通りかかる。そして、絵を描く人を取り囲みあれこれ話を始める。この小学生たちにカメラを向けると、何人かはカメラに向かってポーズを決めてくれる。
 この日の午後は、開城にある世界遺産の史跡を時間の許す限り見て回る。夜は、一般の民家を宿泊施設に改装した民族旅館に泊まり、朝鮮の人たちの暮らしの一端を体験する。


 善竹橋/開城(ケソン)
 高麗王朝(918年〜1392年)の都として栄えた開城には、貴重な史跡が数多く残されている。そのうち十数カ所が2013年に世界遺産に登録された。善竹橋はそのうちの一つで、高麗時代の忠臣・鄭夢周が李芳遠(後の太宗)に襲われたところ。
2014年4月29日撮影

 新婚カップルが善竹橋の前で記念撮影(背後の小さな石橋が善竹橋)

 善竹橋の前にある表忠碑の門前で同じ新婚カップルが記念撮影

 世界遺産の善竹橋をキャンバスに描く人たち

 学校帰りの子どもたちが、善竹橋を描く「画家」を取り囲む。

 学校帰りの少年、善竹橋にて。

 学校帰りの子どもたち。外国人(日本人)のカメラが少々気になる。




安岳‐高句麗の壁画古墳
 平壌や南浦には高句麗後期の古墳群が点在している。そして、その多くに、当時の文化や風習を伝える鮮明な壁画が残されていて、世界遺産に登録されている。その高句麗壁画古墳を代表する安岳三号墳を、朝鮮訪問三日目の四月三〇日に、開城から約三時間かけて訪ねた。説明しはじめると長くなるので本稿では詳述しないが、日本の高松塚古墳の壁画と同時代の数多くの壁画が安岳三号墳には鮮明に残っていて、必見の価値がある。平壌から安岳には約二時間で行けるので、平壌から日帰りで観光することも可能だ。




大城山公園‐平壌市民の憩いの場
 朝鮮訪問四日目の五月一日はメーデーの休日。私たちは、平壌近郊の大城山の麓にある大城山公園を訪ねる。遊園地や動物園を併設する自然公園で、平壌市民の憩いの場だ。
 その大城山公園に、メーデーの休日を楽しむ大勢の人たちがやって来る。少しおしゃれな服を着る子どもたちも、父母や祖父母に手を引かれ次々にやって来る。そして、遊園地で回転木馬やジェットコースターや電動自動車に乗ったり、公園で運動会や球技を楽しんだりしている。運動会で競技に参加した子どもは全員が記念の景品をもらえる。特設の舞台では歌謡ショーが開催され、プロ(たぶん)の歌手が華麗に歌っている。
 昼食時には、鉄板を囲む人の輪が木陰などに所狭しと広がる。コンロや鉄板や食材はそれぞれが持参してきて、新緑に包まれる自然公園でバーベキューを楽しむのだ。


 大城山公園/平壌(ピョンヤン)
 平壌近郊にある大城山公園は平壌市民の憩いの場。緑豊かな大城山の麓にある自然公園で、動物園や遊園地が併設されている。5月1日はメーデーの休日で、大勢の人たちが遊びに来ていた。
2014年5月1日撮影

 メーデーの朝、両親や祖父母らに手を引かれ子どもたちが大城山公園にやってくる。(1)

 メーデーの朝、両親や祖父母らに手を引かれ子どもたちが大城山公園にやってくる。(2)

 メーデーの朝、両親や祖父母らに手を引かれ子どもたちが大城山公園にやってくる。(3)

 アイスクリームをなめながら。

 年配の女性も着飾ってやってくる。左端の女性は太鼓を持っている。昼食を食べながら歌ったり踊ったりするときに、この太鼓を演奏する。

 バレーボールに興じる。本格的な(?)6人制。職場対抗のゲームかな?

 南門の裏にある芝の広場で運動会。これは、職場対抗のリレー競技。赤い標識をUターンして、直径1メートルほどの輪を二人で運んでリレーする。

 子どもたちのかけっこ。スタート前の「位置について」という場面。

 年子どもたちのかけっこ。ゴールの風船めがけて走る。

 子どもたちのかけっこの表彰式。どの子も記念品をもらえる。

 南門の正面では歌謡ショー。立ち見の聴衆の頭越しに舞台が見える。

 南門正面の舞台の歌謡ショー。これは、女声4人・男声3人の歌。

 遊園地の飛行機の乗り物。動き(回り)始める前に、左端の男性がカメラを構え撮影している。

 遊園地の定番の回転木馬。カメラに向かってピースサイン。

 電動自動車。お互いの車を避けながら(ぶつかりながら)自由に走り回ることができる。

 円盤型の飛行船。ぐるぐる回りながら上下に動く。

 昼食時のようす。コンロを持ち込みバーベキューを楽しむ人たちが、この一角だけでもこんなに大勢いる。

 バーベキューを楽しむ人たちが、ここにもこんなに大勢!








平壌(ピョンヤン)‐近代化が進む朝鮮の首都
 メーデーの休日の午後は、平壌市内にあるイルカ館(水族館)にイルカショーを観に行く。座席指定券を受け取りプールがあるショー会場に入ると、開演を待つ子どもたちが期待に目を輝かせている。そしてイルカショーが始まると、乗りの良い観客の大喝采が続く。イルカだけでなく調教師も人気俳優のような感じで、観客の大きな声援を浴びる。
 イルカショーを観たあと、観光名所の凱旋門に行くのに地下鉄を利用する。休日のこの日も乗客はけっこう多いが、地下鉄は平壌市民の日常の足になっていて、通勤時間帯には二分か三分毎に、昼間は五分毎に、朝六時から夜一〇時まで運行されているとのことだ。
 朝鮮で過ごす最後の夜は、焼き肉の食堂で夕食を食べる。ほぼ満員の客席は、欧米系の観光客が多いようだ。給仕が少し落ち着いたところで、接客係の若い女性従業員数名がカラオケで歌を披露してくれる。日本の若い女性グループのように踊りながらの熱演だ。
 朝鮮訪問五日目となる翌日は移動だけの一日で、早朝に平壌を出て北京経由で名古屋に帰り朝鮮の旅を終える予定だ。日本から持ち込んだ私の著書『万人坑を訪ねる』を、朝鮮滞在中ずっと付き合ってくれたガイドの金順英さんに御礼として渡すと、日本の書籍を受け取ることに何も問題はないとのことで、金さんは喜んで受け取ってくれた。


 イルカ館/平壌(ピョンヤン)
 平壌市内にあるイルカ館でイルカショーを楽しむことができる。5月1日はメーデーの休日で、大勢の市民がイルカ館にやってきた。イルカ館には、海底を模擬する水族館も併設されている。
2014年5月1日撮影

 イルカショー開演前の観客席のようす。写真右側にイルカが泳ぐプールがある。一公演(ショー)毎の入れ替え制で、座席は指定席。

 イルカショー開演前の観客席。家族といっしょにやってきた子どもが開演を待ちわびている。

 イルカショー。2頭のイルカがジャンプし、天井の風船に同時に触れた直後の映像。この写真は暗く映っているが、実際の会場は明るい。

 イルカ館の正面出入り口。イルカショーを見終えた人たちが続々と出てくるところ。




「万人坑を知る旅」index

「 満 州 国 」 の 万 人 坑
 内蒙古自治区 ハイラル要塞万人坑
 黒龍江省   鶴崗炭鉱万人坑  鶏西炭鉱万人坑  東寧要塞万人坑
 吉林省    豊満ダム万人坑  遼源炭鉱万人坑  石人血泪山万人坑
 遼寧省    北票炭鉱万人坑  阜新炭鉱万人坑  本渓炭鉱鉄鉱万人坑  弓長嶺鉄鉱万人坑
        大石橋マグネサイト鉱山万人坑  大石橋マグネサイト鉱山万人坑(2)
        金州龍王廟万人坑  新賓北山万人坑  撫順炭鉱万人坑  旅順万忠墓
        阜新炭鉱万人坑(2)  北票炭鉱万人坑(2)  平頂山惨案
 河北省(旧熱河省) 承徳水泉溝万人坑

華 北 の 万 人 坑
 河北省    宣化龍煙鉄鉱万人坑  潘家峪惨案  石家庄強制収容所  井陉炭鉱万人坑
 山西省    大同炭鉱万人坑  大同炭鉱万人坑(2)
 天津市    塘沽強制収容所

華 中 ・ 華 東 の 万 人 坑
 安徽省    淮南炭鉱万人坑
 江蘇省南京市 南京江東門万人坑  南京上新河万人坑  南京普徳寺万人坑  南京東郊合葬地
 上海市    銭家草惨案

華 南 の 万 人 坑
 湖南省    廠窖惨案(廠窖大虐殺)
 海南省    八所港万人坑  石碌鉄鉱万人坑  田独鉱山万人坑  陵水后石村万人坑
        南丁(朝鮮村)千人坑  月塘村「三・二一惨案」  北岸郷「五百人碑」


付 録 : 朝 鮮 を 知 る 旅
        朝鮮の人たちの日常 2014年

付 録 : 日中友好新聞連載記事
        中国本土に現存する万人坑と強制労働現場を訪ねる



 注意:無断引用・転載はお断りします。引用・転載などを希望される方は、下のメールフォームをとおして、当ホームページの担当者に相談してください。


お知らせのページ

行事案内やニュースなどを不定期に追加・更新します。
時々覗いてみてください。


御 案 内
「中国人強制連行・強制労働と万人坑」の学習会をしませんか!

 中国に現存する万人坑(人捨て場)と、万人坑から見えてくる中国人強制連行・強制労働について考えてみませんか!
 「中国人強制連行・強制労働と万人坑」について事実を確認してみたい、学習会や集会をやってみたいと思われる方は、当ホームページ担当者に気軽に連絡・相談してください。日程や条件が折り合えばどこへでも出向き、話題と資料を提供し、できる限りの解説をします。仲間内の少人数の勉強会とか雑談会のような場でもよいですし、不特定の一般の方も参加していただく集会のような形式でもよいです。開催形式・要領は依頼者にお任せします。まずは当方に連絡していただき、進め方などを相談しましょう。
 それで、謝礼などは一切不要ですが、資料の印刷と担当者の会場までの交通費実費だけは、依頼される方で負担してくださいね。
 当方への連絡は、メールフォームまたは下記メール宛でお願いします。
   ⇒ メールアドレス:

青木 茂 著書の紹介


 差し支えなければ、感想、ご意見等をお送りください。
メールフォームのページへ