新 賓 北 山 万 人 坑

 新賓北山万人坑
遼寧省新賓満族自治県

 清王朝発祥の地を襲った惨劇
 遼寧省東部の山間地にある新賓の旧名称は興京といい、清王朝発祥の地である(新賓という名称になるのは、中国が抗日戦争に勝利した後のこと)。興京の人々には、団結して外敵に対抗する伝統があり、人々の心意気は高い。時代が進み、日本による「韓国併合」が1910年に強行されたあと、大勢の朝鮮族の人々が新賓(興京)にも移住してきて、満州族・漢族と朝鮮族がいっしょに暮らすようになる。
 その新賓が、柳条湖事件以降に日本の侵略を本格的に受けるようになると、抗日連軍や義勇軍などによる抗日闘争が活発に展開された。新賓の占領支配をもくろむ日本軍(関東軍)は、抗日連軍などの武装組織と戦闘を繰り返すとともに、抗日連軍などの抗日組織と一般民衆との結び付きを断ち切るため、元々の居住地から住民を追い出し集団部落に押し込めるなどの占領施策を強行する。そのため、住む所を失くし流浪させられた民衆は寒さと飢えに直面し、大勢が死亡した。
 1931年の統計によると、新賓全県の人口は31万人だが、1945年には11万人に激減している。日本が新賓を侵略占領した十余年にわたる間に減少した20万人のうちの相当数が、日本の侵略により理不尽(非正常)な死を強いられた犠牲者である。

 新賓北山万人坑と楡の古木
 膨大な数の犠牲者の遺体を埋める(捨てる)ため数多くの万人坑(人捨て場)が新賓に形成されたが、県城と、比較的大きい何カ所かの郷・鎮の付近に多くの万人坑が分布している。新賓のこれらの万人坑は、炭鉱など鉱山がある地区に形成された強制労働に起因する万人坑などとは異なり、日本軍(関東軍)が抗日の軍民をほしいままに虐殺し続ける中で徐々に形成されたものである。
 その中で規模が最も大きいのは、当時の県公署と県警察局に近い北山の麓の窪地にある北山万人坑である。犠牲者の最大の埋葬地(人捨て場)である北山万人坑は、同時に、抗日の軍民を虐殺した処刑場でもある。
 ところで、当時の日本侵略者は、北山山麓の処刑場にある楡(ニレ)の大木に、処刑した人々の頭(首)を吊り下げ見せしめとし、新賓の人々を脅かし服従させるのに利用した。そのニレの大木を李秉剛氏が2003年に撮影した写真には、犠牲者の頭(首)を吊り下げた鉄の輪と鉄クギが幹に突き刺さったまま残っているのが分かる。一方、私たちが北山万人坑を訪ねた2017年には、楡の古木(かつての大木)は枯れ果てて幹の上部(大半)が折れて失なわれている。その残された幹に鉄クギが残っているのは確認できるが、鉄の輪は確認できなくなっている。

現地訪問:2017年8月28日 

 北山万人坑:1
 新賓にある万人坑の中では、北山地区の万人坑の規模が一番大きい。日本の侵略により、北山周辺だけで1万人近くの中国人が犠牲になっている。

 北山万人坑:2
 1964年の発掘調査で、200柱余の遺骨がこの一角で発掘された。この辺りは、かつては窪地だったが、地形がずいぶん変わってしまっているとのことだ。

 北山万人坑:3
 正面の建屋の奥に、かつて万人坑陳列館として使用された建屋が残っている。道路や建物の工事などにより、万人坑周辺の状況は変化している。

 北山万人坑の陳列館跡
 1960年代に万人坑陳列館として使用された建物。目の前の北山万人坑の一角で発掘された200柱余の遺骨を展示していた。

 楡の古木:1
 北山万人坑にある楡の古木。地元の人々の証言によると、当時日本軍は、抗日の民衆を虐殺したあと犠牲者の頭(首)を切断し、この楡の古木にいつも吊り下げた。楡の古木は既に枯れているが、日本軍が犠牲者の頭(首)を吊り下げた鉄の輪、鉄のカスガイ、鉄クギは幹の上に残っていて明瞭に見ることができる。(李秉剛氏提供写真)

 楡の古木:2
 楡の古木の幹に残る、人の頭(首)を吊り下げるのに当時用いたカスガイと鉄クギ。(李秉剛氏提供写真)
 楡の古木:3
 楡の古木の幹に残る、人の頭(首)を吊り下げるのに当時用いたカスガイ(鉄の輪)。(李秉剛氏提供写真)

 楡の古木:4
 楡の古木を見上げ、幹に残る鉄クギを李秉剛氏が指し示す。楡の古木は特に保護されているわけではなく、周りはトウモロコシ畑になっている。(2017年8月)

 楡の古木:5
 楡の古木は枯れて久しく、幹の上部(大半)は折れて失なわれている。残された幹に突き刺さっている鉄クギに細長い布が掛けられているのが確認できる。(2017年8月)

 北山の登山道
 北山の麓にある万人坑の近くにある登山道を登り、北山の山頂に向かう。

 抗日英烈記念碑
 北山の山頂に建立されている抗日英烈記念碑。左下隅の人物と比べると、相当に大きな碑であることが分かる。その後方に、李春潤烈士と李紅光烈士の胸像が見える。

 李春潤烈士の胸像
 遼寧民衆自衛軍第六路軍司令。1933年8月17日、風城県塔溝の激戦で重傷を負い死亡。享年33歳。

 李紅光烈士の胸像
 東北人民革命軍独立師参謀長・第一師師長。1935年、新賓境内老嶺溝での作戦中に死亡。享年26歳。

 新賓の市街地(遠景)
 抗日英烈記念碑がある北山山頂の広場から新賓の市街地が見える。新賓(旧称は興京)は清王朝発祥の地である。

 新賓の市街地
 新賓は中国で唯一の満州族自治県で、人口は30万人。大都会の騒々しさとは無縁の、静かで落ち着いた街並みが続く。

 侯雪峰档案局長
 侯雪峰氏(左側)は新賓満族自治県档案局の局長。地方史の編纂と文化を統括している。




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付 録 : 朝 鮮 を 知 る 旅
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付 録 : 日中友好新聞連載記事
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