金 州 龍 王 廟 万 人 坑

 金州龍王廟万人坑
遼寧省大連市

 関東軍第693部隊軍病院の建設と金州龍王廟万人坑
 遼寧省大連市金州の龍王廟村で、関東軍第693部隊軍病院と関連施設の建設工事が1942年5月から開始され、5年間の工期を予定する693軍病院と周辺の関連施設および金州と各地を結ぶ道路や鉄道の建設工事に数万人の中国人が労工として徴用された。
 金州に集められたのは、労働者緊急就業規則に基づき近隣地域で強制的に徴用され「勤労奉仕隊」などに組み入れられた人々を除くと、大部分は河北省や山東省など遠方の人々であり、その中でも特に山東省の人が多い。彼らはいずれも、「東北(『満州国』)の生活は快適で、毎日3回米や小麦の食事を好きなだけ食べれる。賃金は一年に数百元で、郷里に送金することもできる」などという嘘に騙され、労工募集に応じたとたんに自由を奪われ金州に連行されてきた。
 693軍病院と関連施設の建設は、693部隊の土建事務所が主管する軍事関連工事であるため、労工の逃亡が許されるはずもなく、連行してきた労工に対し労働も食事も睡眠も全てが厳しく規制される。そして労工たちは、劣悪な環境の下で過酷な労働を強制され、過労と飢えによる衰弱、劣悪な生活環境と非人間的処遇による病気やケガ、頻発する事故、残虐な体罰などの虐待により次々に死亡した。
 日本の敗戦(1945年8月)により693軍病院と関連施設の建設は未完のまま中止されるが、関連資料の記録によると、1942年5月から1945年8月までに693軍病院の建設工事に徴用され強制労働させられた中国人労工は1万0482人で、そのうち8000人余が死亡した。犠牲者の遺体は、主に金州城北の周家溝一帯に捨てられ金州龍王廟万人坑が形成された。

 金州693軍病院は細菌兵器研究・製造施設か?
 金州693軍病院は長大な地下室を備える多層階の巨大な施設で、「アジア第一の長廊」と当時は称されたが、その設計図などは、日本の敗戦の直後に工事関係者らが退去する際に、3日間かけて焼却されてしまった。しかし、残された建物の調査と、当時の何人かの関係者の証言から、細菌兵器の試験・研究と製造のための秘密施設として693軍病院の建設が進められたのではないかと考えられている。
 例えば、第693部隊の土建事務所で通訳として働いていた李徳一は次のように証言している。「私(李徳一)が土建事務所で働いていたある日、日本人警備員の高橋某といっしょに酒を飲んだ。そのとき高橋は、『この病院の建設工事が完成すると、細菌(病原菌)試験場が整備されることになる。その目的は軍事用であり秘密の話だ』と言いながら私に話し、『この秘密を漏らせば斬首され殺される』と高橋は強調する。さらに、『軍病院の建設工事が完了すれば苦力(労工)は全員が殺される』と話を続ける。そして、『直ぐにここを立ち去れ。立ち去る時は十分に注意するように』と高橋は私に忠告した」。
 それからすぐに李徳一は金州から立ち去った。

 金州龍王廟万人坑遺跡記念館
 1960年代に、当地の政府が広範な組織や人々に呼びかけ、金州龍王廟万人坑の発掘・調査と関連資料の収集・研究が行なわれた。
 金州龍王廟万人坑は金州城北の周家溝一帯に広範に存在し、主要部の面積は約3万平方メートルになる。万人坑で発掘される遺骨のほとんどは青壮年の遺骨であり、あるものは頭骸骨が陥没し、あるものは首や身体にベルトが巻き付けられ、あるものは手足の骨が折れている。あがき苦しむ様子から、生き埋めにされた犠牲者の遺骨だと判断されるものも少なくない。
 1960年代に発掘調査された広範な万人坑は、そのあとほとんどが埋め戻されるが、693軍病院跡から1キロほど南に位置する発掘現場は、1970年に、発掘したままの状態で保存されることになる。そして、発掘現場をそっくり覆う建物の建設が進められ、金州龍王廟万人坑階級教育館として1972年に竣工し大衆に開放された。階級教育館の当初の占有面積は5000平方メートル余、建物面積は1400平方メートル余である。
 竣工から40年余を経た階級教育館は2014年に改装され、充実した資料館(展示場)を併設する新しい施設になり、金州龍王廟万人坑遺跡記念館として公開され現在に至っている。記念館を管理しているのは大連市金州区文化局で、文化局職員の陳志軍さんが記念館の館長を十数年来務めている。

現地訪問:2017年8月30日 

 金州龍王廟万人坑遺跡記念館
 記念館正面入口と手前側の建屋。この手前側の建屋内に事務室と展示室が開設されている。

 記念館内の展示室
 このような区切りの展示室が手前側の建屋内に幾つも設営され、当時の写真や解説パネルが掲示されている。

 第693部隊軍病院(展示写真)
 展示室内に掲示されている第693部隊軍病院の写真。地上部分は3階建(一部は4階建)になっているのが分かる。

 記念館の中庭
 左側の棟が「手前側の建屋」で、展示室や事務室がある。正面奥の建屋の中に、万人坑発掘現場が保存されている。

 万人坑発掘現場 全体像1
 手前(建屋入口)側から奥の方を見る。白い花と色紙は、犠牲者追悼式を行なうときに私たちが供えたもの。

 万人坑発掘現場 全体像2
 手前(建屋入口)側から右側奥の方を見る。遺骨は、遺体が埋められた(発掘された)当時のままの状態で保存されている。

 万人坑発掘現場 全体像3
 右側奥から建屋入口(手前)側を見る。犠牲者を追悼し、再び侵略しないことを誓う言葉を訪中団代表が読み上げている。

 万人坑発掘現場 部分1


 万人坑発掘現場 部分2

 万人坑発掘現場 拡大1


 万人坑発掘現場 拡大2


 万人坑発掘現場 拡大3


 陳志軍館長(手前側の人)
 陳志軍館長から龍王廟万人坑について説明を受ける。陳氏は金州区文化局の職員で、記念館館長を十数年にわたり務めている。

 軍用労務者出動令状
 1944年(昭和19年)9月3日付の軍用労務者出動令状。紀豊儀さんに対し、夜具・手回品・工具持参で満州第693部隊に出頭し、三カ月間就労することを命じている。(李秉剛氏提供写真)
 万人坑の一角 1
 1960年代に実施された発掘調査のようす。発掘・収集された頭骸骨が山積みにされている。(李秉剛氏提供写真)

 万人坑の一角 2
 1960年代に実施された発掘調査のようす。折り重ねるように遺体が埋められたことが分かる。(李秉剛氏提供写真)




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付 録 : 日中友好新聞連載記事
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